MAYURA MANIACS #01

MAYURA CHRONICLE

2000.10 --

この頃、『偽春菜』を初めて知りました。それまでは某ペルソナ○ェアあたりで遊んでいましたが、何となくネットを彷徨っているうちに黒衣氏のサイトに辿り着き、偽春菜を使い始めました。
偽春菜の何が面白かったかといえば、キャラの可愛らしさと毒舌とのギャップ、それと偽AIによる訳の分からないトークでしょうか。
組み合わせによっては相当面白い会話になり、それをコピーしては知り合いに見せて笑ったりしていました。
当時は黒衣氏の怒涛の更新もあって、毎日サイトに通っているだけでも楽しかった記憶があります。この人は一体何者なんだ、いつ寝てるんだと、思わず気遣ってしまうほどでした。

2000.12 --

『偽春菜』の完成度がさらに高まり、スキンやヘッドラインセンサ等が実装されました。
次第に人が集まり、コミュニティの原型が出来た頃でもあります。
この時期、ポツポツと出始めたオリジナルのスキンを見て、私もキャラクターの構想を練り始めました。

2001.01 --

『偽春菜』はますますパワーアップしていきます。『せりこ』や『奈留』等の強力なスキンが現れ、それに呼応するように黒衣氏も猛然とバージョンアップを続けます。
やがて、ゴースト・シェルの概念が実装され、ようやくオリジナルのキャラを作れる下地が整ってきました。
そんな中、某プラ○センス社と黒衣氏との対立が始まりました。
この時の騒動は、各所で語られている通り大変なものでしたが、何より『偽春菜』コミュニティの団結力というか、たった一つのキャラを中心にこれだけの数の人間が行動を起こすというその現象に驚きました。前代未聞でしたね。
結局、『偽春菜』は公開停止になってしまいます。
私はといえば、この時期はまゆらのサーフィスを描いていました。

2001.02 --

『偽春菜』が『任意』という名前に変わり、再公開への道を模索し始めます。
この時期は、『偽春菜』公開停止のあおりを受け、コミュニティ自体が沈滞ムードでした。黒衣氏もサイトごと姿を消し、終末感が漂っていたように記憶しています。
私としても、このままブームを終わらせてしまうのは勿体無いと思い、せめてゴーストの一つも作ろうと思っていましたが、理想とする「完全に独立したキャラ」を作るには環境が不足していました。
そこにようやく『華和梨』が登場し、晴れて障害は無くなったわけです。
その後は急ピッチで、ゴーストの根幹部分のスクリプトを書きました。当時は資料がほとんどなく、何人かの製作者が情報を交換しながら作業を進めていました。
一方、『任意』は『何か。(仮)』と命名され、黒衣氏から開発を受け継いだ(?)閑馬氏により製作が再開されます。

2001.03
  • 03.09
    Ver1.00
    まゆら初公開
  • 03.23
    Ver1.10
    アーカイブ更新
  • 03.26
    Ver1.15
    Surface微修正、黒うにゅう刮目追加

3月になり、ゴーストやスキンの数も増えてきました。ただ、独自の外見を持ち、独自の会話をする、『任意』の面影を断ち切った本当の意味のゴーストはなかなか現れませんでした。
それなら自分で作るしかないということで、『まゆら』は独自性にこだわりました。
個性を打ち出すためにコンセプトを絞り込み、全ての要素をある趣向に特化させる――おすすめの内容からメニュー、設定資料や公式サイト等に至るまでしっかり作りこみ、ディテールにこだわる――その他、普段仕事で使っている方法論を適用しました。
そうした過程を経て、ついにと言うかようやくと言うか、『まゆら』は完成したわけです。
公開日は、3月9日に決定。特に意味はありません。
本来はあちこちに宣伝するものですが、当時は『さくらナビ』にリンクを一つ貼ればそれで十分でした。

正直最初は、まゆらが受け入れられるとは全然思っていませんでしたね。『任意』ユーザー層を中高生〜大学生程度と見積もっていましたので、何人か反応してくれれば御の字といった程度でした。
ですが、意外とその筋の方が多かったようで、反応は思いのほか上々でした。

公開してしばらくは、『ほげほげってムネきゅん?』問題が専ら悩みのタネでした(笑)
『華和梨』の未実装部分が原因で出るメッセージなのですが、頻繁に表示されるため、問い合わせが多く来たのを覚えています。

2001.04
  • 04.09
    Ver2.00
    "Inverse"対応
  • 04.10
    Ver2.01
    ネットワーク更新対応
  • 04.14
    Ver2.05
    Surface微修正、バルーン問題修正、その他各部修正

相変わらず、閑馬氏の怒涛の更新が続きます。私たちはそれに合わせてゴーストを更新するので精一杯です。
もっとも、閑馬氏とのやり取りは『笑点』みたいなもので、出てきたお題(新仕様)に合わせて私達が使い道を考え、ゴーストに反映するという、それはそれで面白い作業だったわけですが。

V2.00になり、サーフィス画像を一新しました。
最初は知り合いの目から逃れるため絵柄を変えていたのですが、色々あってバレてしまい、隠す必要がなくなりました(笑)
それならばと開き直って、比較的マジメに描いたのが2代目サーフィスです。

この頃、閑馬氏作の『スーパーせりこ大戦』が公開されました。まゆらもキャラの一人として登場しています。
あと、『猫どりふ』や『きのこ』というソフトも流行りましたね。まゆらも頭に16tボムを落とされたり、スーパーきのこやマシュリンを載せられたりしていました(笑)

2001.05
  • 05.26
    Ver2.06
    updates2.dau対応

この時期は、『迷宮』を作っていました。
選択肢が実装されたことで、その昔流行った『ペーパーアドベンチャー』を作ろうと考えたまではいいのですが、無謀にもWizardry#1の迷宮を再現することになってしまいました。
本当は文字でワイヤーフレームのダンジョンを表示したかったのですが、さすがに手間がかかり過ぎるので、文章だけの表現にしました。それでもかなりのボリュームになりましたが。

2001.06 --

確か『迷宮』を公開したのがこの頃だった気がします。
一度に全部を作る余裕はなかったので、最初は地下1階だけ公開し、段階的に工事を進めていきました。その間、下への階段は適当な理由を付けて塞いでいました(笑)
後は、例によって本体の更新への対応、『華和梨』のバージョンアップに合わせた修正、ネタの追加といった地味な作業をやっていました。本体の度重なる仕様変更・追加にはかなり手を焼いた記憶があります。
雑誌への収録やフィギュアの話が来始めたのもこの頃ですね。

2001.07
  • 07.02
    Ver2.10
    新仕様への移行完了(?)

閑馬氏が『うなぎ計画』というよく分からない事を始めます。彼の気まぐれはいつものことなので普通に流していましたが、内容自体はシェルが完全に独立し、各ゴースト固有のものになるという大変有り難い変更でした。
当時の事件といえば、やはりまゆらが新聞に載ったことでしょうか。
この時オファーを下さったのは、知る人ぞ知る福田淳氏です。読売新聞とか書かれていたので、何か悪い事でもしたかと一瞬考えてしまいましたが、普通に掲載の申し込みでした。もちろん即OKです。

2001.08
  • 08.13
    Ver3.00
    "Redo"対応

『何か period "redo"』が公開され、(仮)が外れて正式名称になります。ようやく新しいデフォルトシェルが添付され、仕様もかなり洗練されてきました。
まゆらもそれに合わせてセコセコとバージョンアップします。
この頃、韓国の方からまゆらの韓国語版を作りたいとメールが来ました。正直「?」という感じでしたが、とりあえず面白そうなので翻訳をしてもらうことに。
レゲー文化を知らない(?)向こうの人達が、まゆらを使ってどうするのかといった疑問はありましたが。

2001.09 --

この頃は、特に目立った動きはありませんでした。
A.W.P.さんから「まゆらコレクション」なる本が出まして、それを贈って頂きました。
色々な方にまゆらを描いて頂きましたが、個人的には、閑馬氏が参加してくれたのが大きかったですね。

まゆらの方は、コミュニケート機能をいじったりしていました。
相手ゴーストに対して「ぶんどる」コマンドを使うと、そのゴーストに応じたアイテムを盗むことができたり、迷宮に落ちているあるアイテムを取ると「ぶんどる」の確率が上がったりと、ムダに仕掛けを増やして遊んでいました(笑)
また、ゴースト「あると」を勝手にライバルに仕立て、一緒に立たせると小イベントが発生するような細工も施しました。
迷宮第2弾を構想していたのも確かこの時期です。Wiz#4を再現するというさらに無謀な事を考えていましたが、さすがにこれは途中で断念しました。完成したらかなり面白いことになると思ったんですが。

2001.10
  • 10.03
    Ver3.11
    ネットワーク更新周りを訂正

10月は色々と大変でした。
Tripodに置いていた公式サイトが突然削除されて、大騒ぎになりました。すぐに無料スペースを借りて避難しましたが、無料スペースだけに負荷に耐えられず、その日のうちにまた削除。
結局、月宮氏に場所を提供して頂いて、落ち着くことが出来ました。これが今のmayura.jpです。
この事をきっかけに、ゴーストを一手に収容して配布する「ごーすとさーばーず」が始まりました。
そういえば、「AllAbout何か」の話が来たのもこの時期ですね。
私は絵を描く暇がなくて画集の方はお断りしたのですが、まゆらについては収録してもらいました。

サイトが落ち着いた後、『なにかろーぐ』の製作に入りました。原作の要素をゲームにいかに当てはめるかで苦労した覚えがあります。
本当はこのソフトに同梱したかったんですが、権利的な問題で割愛しました。

100の質問が流行っていたのもこの時期ですね。

2001.11
  • 11.30
    Ver3.20 "slay"対応
    shiori.dllを更新、各種イベント追加

『何か "slay"』が公開されました。同時に、デフォルトゴーストが『さくら』に戻ります。
あと、主要ゴーストに対して通り名というか、ニックネームのようなものが表示されるようになりました。ウチのまゆらも、『The Beast』という有り難いのかどうなのか良く分からない名前を頂きました(笑)
消滅指示が実装されたのもこの時期でした。メニューからゴーストを削除するための機能ですが、最初はその項目がメニューの上部という有り得ない位置にあったため、一部で疑問の声が上がりました(私もです)。
その後、閑馬氏が妙にこの消滅通告周りの仕様を作りこみ始め、消滅の引き止めや、消滅回数のカウントといった謎機能を実装しました。
私もそれに便乗し、まゆらにロストの概念(消滅させると二度と呼び出せない)を冗談で付けたのですが、そのおかげで一部の人がまゆらを使えなくなる事故も発生しました(笑)
結局その機能はお蔵入りに。

11月といえば忘れてはいけないのが、この月にラグナロクオンラインのベータテストが始まった事です。
このゲームは、コミュニティに大きな影響を与えました。私も結構ハマりましたが、中にはゴーストの更新がすっかり滞る人もいまして、色々と問題になりました。

2001.12 --

相変わらずラグナロクにハマり、更新は割とスローペースです。
12月には、公式サイトのリニューアルをしました。全体的にポップでテクノな感じにしようと思いましたが、成功したのかどうかよく分かりません。
この時期、『栞』にテキストを読み込む機能が追加され、その使用例として『パソゲー辞典』を実装しました。
J.SAIRO氏のサイトにあったパソゲー辞典を読み込み、任意の語句で検索できるというものですが、割と重宝したような気がします。

2002.01 --

年が明けました。
この時期は、『移動』メニューをひたすら作りこんでいました。まゆらが酒場やトレボー城、アキバのジャンク屋といった色々な場所に移動できる、AVG的な大型イベントです。
ジャンク屋では、迷宮で溜めたお金を使って実際に買い物をすることが出来ました。といっても買えるのは古いコンピュータばかりですが、例えば全機種集めるコレクション的な遊びが出来る他、ある場所に現れるマニアに売りつけると差額で儲けられるという、ジャンク転がしの疑似体験のようなことも出来ました(笑)
また、怪しい骨董屋に行くと、他のゴーストからぶんどったアイテムをお金に変えることが出来ました。
他にも、デパートではラジオや洗濯機などの家電品を買えたり、チョコレートを買うとまゆらが2月14日にそれをプレゼントしてくれるというイベントがあったり、とにかくムダに凝ってましたね(笑)

2002.02
  • 02.09
    Ver3.30
    いろいろ追加
  • 02.17
    Ver3.40
    新仕様への対応

2月になり、公式サイトのヒット数が100万を越えました。
この頃、最終版となるv3.40が公開されました。『華和梨』の仕様変更に伴い、大幅にスクリプトを書き換えたバージョンです。

2002.03 --

終わりの時が来ました。
3月5日に終了告知を出し、9日に全コンテンツを削除。そして『何か wiz まゆら』は、一年間の運営に幕を下ろしました。
終了時には、沢山の方からコメントや絵などを頂きました。記念ムービーを作って下さった方もいましたね。

その後、『伺か最萌トーナメント』というイベントが開催され、私もまゆらの試合時にはずっと張り付いて観戦していました(笑)
応援のため、少しだけサイトを復活させたりもしました。
結局、残念ながらまゆらは優勝まで行けませんでしたが、とても楽しいイベントだったと思います。